大変ありがたいことに、生徒さんが増えてきました。完全に口コミですが、なんとか増えてきている。毎日が忙しくなってきてますが、忙しくなかったあの日々のことをわすれないようにしたい。
それでは本題です。
著者:イ・ギジュ
この本は、読書のススメのカリスマスタッフである小川さんの講演で紹介されていたのを聞いて、気になって購入しました。この本にはいろんな言葉が出てきて、僕の名刺の裏にも使われている言葉があります。
それは、
「待つということは希望のもう一つの名前」
師匠兼同志の方から、待つということの重要さを教えてもらうことがよくあります。それは、話し手のことを本気で信じて待つ。そうすると本人の答えにたどり着くことがある。しかし、沈黙に耐えられずこちらから声を発してしまうこともしばしばある。だから待つことは難しいけど、待とうと思う。
家庭教師で生徒さんに教えることがあるけど、待つのって難しい。
自分は答えを知っている。でもすぐに言っても本人の頭にそんなに入らない。
「できるけどやらないたしなみを身につけなさい。」師匠の言葉も思い出される。
家庭教師の場面でなくても、日常会話などで、「あ!それ知ってる!」と知ってるアピールをよくする。待ててない。と感じる。
絶妙なタイミングで答えられる人間になりたいと思う。
そういう思いで指導にあたると僕が決めることは、その言葉をみたときから決まっていたのかもしれない。
そういう言葉に出会うための本だったと思うと妙にうれしく思います。
僕が惹かれた言葉以外にもたくさんの言葉がこの本にありました。
そこも魅力に感じたのですが、著者の感情や、言葉に対する感じ方や捉え方に惹かれるところが多かったです。電車の中での老夫婦の何気ない言葉に愛を感じたり、慰めについて、バーのマスターの言動から考えてみたり。名前を呼ぶことの尊さだったり。
素敵に感じた話
少し長いですが、名前の話を紹介しておきます。
名という漢字を分解すれば、「夕」の下に「口」という形だ。これを文字通りに解釈してみよう。夕方に口を開くということか?それも悪くないが、もう少し想像力を発揮してみたらどうだろうか。
時はまさに、人類の生活様式が狩猟と遊牧と農耕に移り変わった頃の、ある日の夕方。タンパク質と炭水化物を確保するため、一日中歩き回っていた父と母が、疲れた体を引きずって家に帰ってくる。
ひもじい腹を抱えていた子どもたちの耳に、足音が聞こえてくる。しかし、トーマス・エジソンが白熱灯を発明するよりずっと前なので、天地は夕闇と静寂に包まれている。
子どものヨンヒとチョルスは、耳をピンと立てて足音に神経を集中する。お母さんとお父さんなのか。それとも川の向こう岸から侵入してきた略奪者なのか。チョルスは警戒心を解くことなく、手に石斧を握りしめる。
その瞬間、両親が口を大きく開けて、子どもたちの名を呼ぶ。「ヨンヒ、チョルス、元気でいたか?食べ物を持ってきたぞ!」
真っ暗な夜、暗闇のなかで子ども安否を確かめるために、親が大声で叫ぶのが、まさに名前だ。誰かの名を呼ぶ行為は、その人の安全とアイデンティティーを確認することに他ならない。
家族や友人の名を呼ぶとき、そこに悪態を交えることが癖になってしまっているようならば、恥を知るべきだ。
名を呼ぶという行為は崇高なものだ。
崇高でない名はないからだ。
言葉の温度 著者;イ・ギジュ 米津篤八 訳
素敵な想像力ですよね。この話はいいなと思いました。名前を呼ぶことの大切さ。
そして、誰を呼ぶときにも、こんな思いで呼ぼう。そう思わされた。
僕は10年後ぐらいにまたこの本を読んでみたいと思う。その時にはきっと、僕の気を引く言葉がまた違うところに表れていると確信できる。そんな素敵な言葉の宝庫だと思う本でした。
この本を通して自分の興味のあることや、大切にしてみたいことを探してみませんか?ぜひおすすめの一冊です。
もしも、ご購入の際は、こちらのステキな本屋さんからも購入できます。