[9冊目]
正解のない答えを見つける
『勉強するのは何のため?』

そろそろ広告に「秋」という表示が見え始め、秋の訪れを感じて、「もう秋か、早いな!」と思うこのごろでございますが、暑さだけはまだまだ残って僕も新聞配達はまだまだ汗だくになりながらです。この暑さ、早く終わってほしいと切に願います。

そして、先日、センジュ出版の吉満さんと、読書のススメの小川さんが開催する「読書てらこや」に参加させていただきました。

その読書てらこやの課題本であるうちの一冊を同時に紹介させていただきます。

それでは本題です。

著者:苫野一徳

珍しく、教育に関わる本を読みました。

教育の本を読んでしまうと、自分は良くも悪くも素直なので、本に書いてあることを自分で吟味せず、生徒にそのまま言ってしまいそうでだったので、そこまで自分から読もうと思っていませんでした。

今回この本を読んで、自分では読まない本を読むということはとてもためになると感じました。

この本の中には、「一般化のワナ」と「問い方のマジック」という言葉がでてきます。

「一般化のワナ」は簡単に言うと、自分の経験したことをあたかも、他人が経験しており、これが常識のように感じてしまうこと。

「問い方のマジック」は例えば、「生徒は褒めて伸ばすか、叱ってのばすか?」と問われたら、こっちの方が正しいのではないかと考えること。実際は時と場合によっては、どちらも正しいのに。というような感じです。

この辺はあくまで、僕が感じたことなので、ぜひ自分の目でこの本を読んでぜひ感じていただけたら嬉しいです。

そして、哲学の話もこの本の中にはありました。僕は「どんな本を読まれるのですか?」と質問をうけることが多く、正直僕が何のジャンルを読んでいるのかはっきりわからなかったのすが、なんとなく僕が読む本は「哲学」なんじゃないかと思ってきました。正解のない答えを考え続けることが哲学だと書いてあり、自分なりに納得しました。

この本を読んでいて、僕は家庭教師として何ができるのか?ということを深く考えることができたと思います。

僕は正解のある問題に関しては正解を知っていて生徒に教えたりすることがあるのですが、「生徒に正解をすぐにそのまま教えても頭に入っていかない」のです。じゃあどうしたらいいのか、

「生徒自身に納得してもらうしかない」と改めて思いました。

正解のない答えもそうですが、一応正解が用意されている問題を理解していってもらうために、このことは意識していこうと思います。そういう決意を思わせてくれたのがこの本でした。

心に残った言葉

哲学は、実生活に役に立たないことを考えるものではありません。むしろ哲学こそ「正解」のないさまざまな問いに、「納得解」を与えてきたものなのです。

たしかに哲学者には風変わりな人が多いですが、でもそれは、普通だったら途中で考えるのをやめてしまうようなむずかしい問題を、とにかくひたすら考え抜くような、ちょっと変わった趣味(?)の持ち主であるからです。

でもだからこそ、彼らが考え抜いてきたはわたしたちの「役に立つ」。普通だったら考えが及ばないところまで、考え抜いてくれているからです。

苫野一徳

以上の文章が「はじめに」に書いてあるのです。この言葉で、ものすごく、この本の続きを読んでいきたいと強く思いました。そして、今まで抱いてきた哲学のイメージを崩してもらったように思いました。とは言っても哲学者の本をそこまで読んでいないので、読んでみてから答えを出していきたいと思います。

本読んでいくのが楽しいと感じます。そして、読んだ本を共有できる「読書てらこや」に感謝です。

もしも、ご購入の際は、こちらのステキな本屋さんからも購入できます。

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