[14冊目]
カラダと向き合う
『僕はずっと裸だった(前衛ダンサーの身体論)』

センジュ出版の吉満さんと、読書のススメの小川さんが開催する「読書てらこや」今回で第三回課題本2冊のうち、2冊目です。

著者:田中 泯

この本はなかなか読みづらかったです。

すぐには理解できないからだろうか?と思った時には、とりあえず、なぜ理解できないのだろう。と考えてみた。

興味が薄いから?

でも、この方はダンサーであり、同じダンスをしている身としては興味があった。

多分、文章が難しいから。ふだん触れる機会が少ない言葉が多かったのだろうと今書いている途中に思う。

田中さんは、一時期、裸で踊ることをしている。そして今は「場を踊る」

どんな踊りなのだろうと思って、僕はYOUTUBEで見てみた。

リンク貼っておきますね。

正直まったく理解することができなかった。やっぱり動画越しに見るのではなく、生で見た方がダンスはいい。なんとなく美しさはおぼえるがその正体はまったくわかっていない。ただなんとなくしかわからない。

それはこの本を読んでもたいして変わっていないように思う。

この本を読んで、田中さんがヒトのこと、いつから感情というのは生まれるのだろうかというのを深く考えて、カラダに心を傾けているというのはわかったように思う。

結論を言えば、難しかったが、どこか深みのある本。

それが今の自分の中の答えです。

印象に残った言葉

人は「一人」ですごす時を抱えきれない程持っている。この、一人の時の真実が、宇宙に消えてゆくこの時間のすごし方こそが、「人間」の真価なのではないだろうか。

僕はずっと裸だった 著者 田中 泯

失望的な言い方をすれば好奇心は経済に落ち着く。もっと失望的には日本人の好奇心はもはや、流行という経済に連れてゆかれることで充足している様に思える。個的であるのが好奇心のはずなのに。

僕はずっと裸だった 著者 田中 泯

近頃これまた、つくづく思うのです。「人間社会はあまりにも遅れている。」とからだの外側は分類され整理され、合理的になり機能的になり、速くなり便利になり、物覚え良く、正確ですらある。それに引き替え人間社会の何と変化しないことか、変わっているのは、社会ではなく物たち、人間はすっかり遅れをとってしまった。

僕はずっと裸だった 著者 田中 泯

土方巽(師匠)は「カラダに成る」という表現を時々使っていた。カラダに成る、何ともうらやましい言い方で、この言い方、言葉で人類の歴史のことごとくがひっくり返されてしまいそうな勢いを感じてしまう。カラダを道具にしたから、人間になったのだ、とも言える。

僕はずっと裸だった 著者 田中 泯

印象に残っている言葉が今までの本に比べると、多くでてきしました。

まだ紹介していないものもありますが、納得がいくものもあれば、「?」と思うものも多いです。それだけこの本は見た目以上に分厚い本なのだと思います。

今回はこれに対する感想はそこそこにしておこうと思います。

こちらを読んでくださった方が何かを感じてくれたらと思っていつもより多く書かせていただきました。

こちらでも購入可能です。

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