著者:野口昭子
15冊目に書いた「健康生活の原理」の著者である、野口晴哉の妻が書いた本。
15冊目は以下のリンクから閲覧できます。
[15冊目]氣『健康生活の原理』
人生の伴侶である妻目線で、野口晴哉という男がどういう人物だったかを書いているこの作品。
この作品を読むことで、もっともっと、知ることができたと思う。
非常に不思議で、魅力的で、面白い人物だったということを自分としては感じた。
それを今回は紹介したいと思います。
野口晴哉を感じた言葉
道場には、偶数日は午前九時に始め、奇数日は午後二時より始めると掲示してあった。しかし時間通りに始めた試しがない。
「先生、もう十一時ですよ」と待ちくたびれて、不平そうに言った人に「僕の始めるのが九時です。」といったそうである。
朴歯の下駄 著者:野口昭子
やる以上は、生命がけでやる。全身全霊でやる。だからやる気になるまで、人を待たせても失礼だとは思わなかったし、会いたくもない人が来たときは、自分で出て行って
「先生はお留守です」と言った。
「そこにいらっしゃるじゃありませんか」と言うから
「いや、当人が言うんだから間違いない」って言った。
朴歯の下駄 著者:野口昭子
この二つが特に面白くて、強気な人だなと感じた。
この二つだけを紹介すると嫌な人という印象になるかもしれないが、あえてこの二つを紹介したいと思ってしまった。
この人にはしっかりと確立した「自分」があるのだと思う。
昭子さんが目を悪くした際に、
「ねえ、治るのかしら?」と聞いた時に、
「そんなこと、人に訊くことか!治る、治らないは自分で決めることだ」
という会話があった。
僕も含め多くの人は、何かに寄りかからなければ生きていけなくなってしまっているのかもしれない。そういう意味では、自分というものが何かをよくつかんでいる人なのだとこの本を読んで感じた。
そして、この人に自分の体を見てもらいたいと思う人が多かったのは、そういう人間的に、何か惹かれる部分があるからだろうとこの本の色んなエピソードを見て納得した。
僕も見てもらいたい笑
少しばかり、ファンのようなものになってしまったかもしれない。
印象に残った言葉
知識というものは、人間が自由に取捨して使いこなすもの、それに受け身になったときから、生の委縮が始まるのかもしれない。
朴歯の下駄 著者:野口昭子
先生は指導ということについて、
「相手に押しつけてはならない、相手自身が自発的に、自分の考えで行動するようしむけることだ」
と言ったが、しかしそれ故に、先生の言葉の深い真意を汲みとれぬまま、過ぎてしまうこともきっと多かったに違いない。
時に気がついても、先生はただ、我が意を得たというように、ニヤッとするだけだったろうし、相手が気づかなくても、いつのまにか、先生の意図したように変わってくるのを、黙って見守っていたに違いない。
朴歯の下駄 著者:野口昭子
教育の本ではないと思うけど、教育に繋がりそうな言葉に付箋を貼っているのは、
自分がそういうところに興味があるのだからに違いない。
本ってホントに不思議だなと感じる。
求めていなくても、自分が欲しい情報を勝手に受け取ってくれるようになっている。
だから、あえて求めるように本を読むのは、意外と遠回りなのかもしれない。と最近思い始めている。
話が違う方向にいってしまってますね。
僕としては、相手に押し付けないということを100%受け入れることはできないが、自分が思う範囲でやっていきたいと思っています。
今回紹介したのはほんの一部です。
ぜひ、この人面白い人だなと感じたら、読んでみてほしい一冊です。
以下の素敵な本屋さん購入できます。